競走馬とは? 競馬とは?

香港での事故から4日が経ちました。まだ4日なのか、もう4日なのか、時間感覚が麻痺する自分の頭の中で、今般の事故に関連する事柄をいろいろと考えました。 これをうまく文字に起こしきれませんが、現時点での自分の想いや考えをとりあえず以下に記してみたいと思います。

競馬というものに私が没頭したのは、「吉田牧場への我が想い」などに書いてきたようにテンポイントという存在でした。 蹄葉炎なるものを知ったのもテンポイントでした。あの細い足の1本が折れてしまうと身体を支えきれなくなるという話に、 中学生の私は、塩水に浮かせたら? 無重力の宇宙に連れて行ったら? などという考えを巡らせたものです。

4日前は事故の直後から、適切とは思えない言葉遣いで調教師、オーナー等の関係者への責任論がSNSで飛び交いましたが、 そのようなコメントを発する者たちを最大限に好意的に解釈して差し上げるのであれば、みんな、この現実を受け容れるのが辛いのだと思いました。 悔しくてたまらない、そこだけは共通のような気がしたのです。

遠征先の異国で帰らぬ身となったということではホクトベガを思い出したと同時に、 2014年のジャパンカップで故障した愛ダービー馬の Trading Leather を思い出しましたし、 さらには、2020年のメルボルンカップで故障した英ダービー馬の Anthony Van Dyck も思い出しました。どの関係者の無念も、その深さは計り知れません。

著名馬の事故を見聞することは辛いです。ただ同時に思うのは、その裏には、名もなき数えきれないほどの馬たちにおいても、幾多の同様の事例があるということです。 後世に名を遺すような馬の活躍は、生まれつきもらった素晴らしき素質に大きく依拠しています。 実際は、そんな素質を授からなかった馬たちの方が圧倒的に多いのですが、どの個体においてもその命の重さは同じということは忘れてはならないでしょう。 拙著『サラブレッドの血筋』の昔の版では、そのような馬たちを こちら のとおり深慮なく「クズ馬」と表現してしまったことがあり、猛省しています。 その意味では、私などちっぽけな一市民にすぎないわけで、そのような馬たちと大差ないのです。

ところで、「「基礎」と「臨床」」に書いたように、人は目に見えるものにばかり目が行きがちですが、 「目に見えるもの」にも「目に見えないもの」にも看過してはならないものがあります。競走馬のレース中の事故などは前者の範疇ですが、 別途私がしつこいまでに問題提起をしている遺伝的多様性低下、そしてそれに伴う近交弱勢の問題などは後者の範疇であり、 これは「競走馬の福祉」などで論じました。

競走馬は産業動物(経済動物)であることに間違いはありません。 サラブレッドが「競走」という役務に従事する目的に生まれ、そこに供される限り、産業動物という言葉から抜け出すことなどあり得ないでしょう。 その一方で、例えば、JRAのCMで「HERO IS COMING」という言葉を聞く限り、産業動物という括(くく)りに閉じ込めてしまうことにも当然に無理があります。

2年前の英ダービーで動物愛護の過激派による妨害活動がありましたが、 日本の競馬サークルも、適切な情報開示を含めたきちんとしたスタンスを模索していかないと、対岸の火事ではなくなるでしょう。 「サラブレッドの行く末」では『サラブレッドはどこへ行くのか 「引退馬」から見る日本競馬』(平林健一 NHK出版新書) という本を紹介しましたが、そこに書かれていた「世間一般に語られないからこそ、誤解や偏見が生まれる」には重ねてうなずきます。

確かに物事には、開示が是とは言えない情報も少なからずあります。 しかし、それ以前に、おのおののサラブレッドの行く末のデータがきちんと記録されているのかは、かなり怪しいというのが実際の様子です。 そんな状況下、英国における上記のような騒動が日本でも発生した場合に、 説明責任さえ果たせないということにはならないかという懸念をどうしても抱いてしまうのです。

初夏の候、私は毎年「死ぬまでにあと何回ダービーを見られるだろうか?」と思ってきました。コロナ渦の無観客開催時を除き、近年は府中に必ず行っていました。 しかし、以上に書いたようなことから、最近は自分の競馬を見る視点が大きく舵を切り始めており、 正直に申せば、どうもエンタメ目線で見れなくなりつつあるのです。そして、今年のダービーは現地へは足を運ばないことにしました。 少なくとも今年はそのような気持ちにはなれないのです。

逆に、「競走馬」というものへの科学的探究(主に遺伝学的側面)、さらには「競馬」というものの在り方の模索への気持ちは、今般さらに強いスイッチが入りました。 「私の中の競馬」でも書いたとおり、競馬は馬券を買うファンによって経済面では成り立っています。 そういう意味では申し訳なく思っています。ただ、文化という面で支えるうえでは、おのおのの持ち場があるはずです。

リバティアイランドには安らかにと思います。ただそれは、その裏にいる表舞台には出られなかったたくさんの馬たちも含めた総代表として、貴女にその言葉を投げるのです。

あらためて、安らかに……。

(2025年5月1日記)

2年前に こちら を書いたことを思い出しました。そこの前段に書いたことが、いまの我が心境の伏線なのかもしれません。

(2025年5月2日追記)


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