遺伝的多様性の低下に対する米国の方策(その4)

本コラム欄では 「遺伝的多様性の低下に対する米国の方策」 と題したものを、その1その2その3 と過去に3回ほど書いてきましたが、今回はその続編です。

今月7日の 『BLOODHORSE』 の記事 「The Jockey Club Adopts Cap of 140 Mares Bred」 によれば、アメリカのジョッキークラブは、2020年以降に生まれた種牡馬については年間種付頭数を140以下に制限するルールを、 アメリカ、カナダ、プエルトリコで施行すると正式に発表したとのことです。

これは、2019年以前に生まれた種牡馬に対しては一切の制約がないことから、 その1 にも書いた昨年9月にジョッキークラブが出した原案から見ればかなり修正されましたが、 私はこの原案はけんもほろろに廃案にされると予想していたので、このような修正がなされたにせよ正式に発効されたことを個人的には非常に評価しています。 つまり、米国は科学的な問題に真摯に取り組む一定数の科学者の存在が想像できるわけです。

米国において依然としてこの施策に対しては賛否両論が渦巻いているようですが、ジョッキークラブがこの策を発布した根拠は、この記事の中に 「The change, first proposed in September, was implemented to address a declining and concerning degree of diversity within the Thoroughbred gene pool. 」 とあるように、日本や欧州の生産界と同様に、北米においても特定の種牡馬への著しい人気集中による遺伝的多様性の低下がかなり深刻な状況にあることに対する懸念です。 そこをまず理解しなければなりません。

忘れてはならないのは、競馬産業は馬という 「生物」 が主役の産業なのです。 例えば、こちら にも書かせて頂きましたが、遺伝的多様性の低下をきたした生物の群において非常に悪質な感染症が蔓延した場合、 またはその群を取り巻く特定の自然環境が悪化した場合、下手すればその群においてはかなりの割合で重症化して、群の存続を脅かしてしまうこともありうるのです。 また、多様性低下をきたした群においては 「近交弱勢」 という現象が発生することから、受胎率低下や流産率上昇も起こります。 つまりこのことは、所有頭数が少なく死活問題となりやすい中小の牧場においてこそ、より理解を深める必要があるわけです。

上記の記事によれば、予想したことではありますが、大きな種牡馬事業体のマネージャーたちは 「市場が種付頭数を決めるものだ。自由競争があってのものだ」 というようなコメントを寄せているようで、また、「遺伝的多様性低下が起きていることに十分な証しがない」 という声も生産者たちから挙がっているようです。 しかし、昨年9月の 『BLOODHORSE』 の記事 「Study Connects Rise in Inbreeding to Larger Books」 によれば、北米におけるサラブレッドの 「近交係数」 の平均値が近年著しく上昇したとのことであり、 同様に、日本においても多様性低下の兆しは こちらの論文 のとおりです。 「十分な証し」 などと言いますが、遺伝的多様性低下の現象たる 「近交弱勢」 の様相が一旦でも明確に認められる事態になったなら、もはや後戻りはできません。The End です。 そのことだけは生産に携わる各位は認識すべきです。

確かにこのような施策のもとでは人気種牡馬の種は稀少価値となり、不当にその種付料が高騰してしまうかもしれません。 今回の記事にも 、昨年の北米リーディングサイヤーに輝いた Into Mischief の種付数がもしも制限されたなら、その種付料は高騰してしまい、 中小牧場はさらに手が出なくなってしまうと書かれています。

残念ながらそれはそのとおりです。そのようになってしまうのでしょう。しかし背に腹は替えられないのです。

「経済」 は確かに重要です。けれども、科学的に深慮のない経済優先マインドが世界を席巻したことから、 人類を含めた地球上の生命を脅かす地球温暖化のような問題が現代社会を取り巻いています。 経済活動は健全な生命があってこそ成り立つということを絶対に忘れてはならず、われわれの子孫の代に大きな代償をこれ以上負わせてはならないのです。

ちょっと話がオーバーランしてしまいました。 それに比べたら、サラブレッドの遺伝的多様性低下の問題など些細なことではありますが、これらは共に科学軽視が引き金となっていることを言いたかっただけです。

Galileo の血に埋没する欧州」 では欧州における懸念を書きましたが、しかし、 当然のことながら私が非常に気になっているのは、我が日本は今後どのような動きをするのか?……ということです。

(2020年5月30日記)

遺伝的多様性の低下に対する米国の方策(その5)」 に続く

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